May 11, 2015

スカンジナビアの社会学における合理的選択理論の伝統

Edling, C., & Stern, C. (2003). Scandinavian rational choice sociology. Acta Sociologica46(1), 5-16.

この論文では本論に入る前に、個人の効用最大化という関連から数学的なモデルを作る極をhard-core rational choice sociologyとする一方、規範やネットワークといった、社会学的な要素を加味して個人の合理性をモデルに組み込むrational choice inspired sociologyの極、この二つの間に、社会学の合理的選択論は連続的に位置づけられるとする。例えば、グラノベッタ―の論文にも、個人の合理性を仮定する、という文言があるのだが、我々は彼が合理的選択論者だとは思っていない。そういう人は、 inspired の方に入るのだろう。

スカンジナビアの社会学は、当初よりドイツの形而上学的な社会学への批判的精神等から、経験的、政策的な志向が強かったらしい。Rationality and Societyに論文を投稿したスカンジナビアの社会学者は実は少ないとするが、同時にこの雑誌の編集にも携わっていたことから、やはりこの地域における合理的選択論の流れは弱くないとする。とはいいつつ、フィンランドやアイスランド、デンマークにはこの伝統はみられないとしたり、受容したとしても、合理的選択への評価はpro conがいるとするなど、スカンジナビアの合理的選択論の伝統、と一言で言えるほどのシンプルさではないらしい。

この論文によれば、コールマンの「社会理論の基礎」が出版されてからが、この地域における合理的選択論の伝統の、現代の出発点だとする。93年のActa Sociologicaの特集では、主に理論的な見地からこの本への批判が寄せられるが、筆者達にいわせれば、この批判のほとんどはhard coreな合理的選択を想定したものであるという。これらの受容からは、合理的選択論は素直に受入れられた訳ではないことが示唆される。例えば、社会科学における説明の役割をもつものとして合理的選択を評価しても、やはりこれでは規範や信念は合理性には還元できないと結論づける論文等がある。こうした複雑な評価を伴う受容には、Udehnに対する表現 “with a sort of sceptical sympathy”がぴったり来るかもしれない。筆者達は、この地域における合理的選択論を検討しているものは、話してばかりで行動せず(lots of talk but little action)”The talkers are often sceptical of rational choice theory but, at the same time, they see this kind of theorizing as potentially fruitfull if extended with more plausible assumptions”と述べる。最後に、この論文では、コールマンの弟子で、HedströmをHarvardで指導したSørensenの影響が、この地域における合理的選択論の受容に重要だったろうと述べている。結論としては、この地域における合理的選択論の伝統は、知られているほどには強くないというものらしい。

ちなみに、スカンジナビアでは、もう一つの合理的選択をめぐる論争があり、それは合理的選択と大規模データを用いる計量分析の関係についてだったそうだ。これに関しては、Hedströmは96年当時は両者の「結婚」に対して懐疑的になっている。これに関して、この論文の文脈を離れると、例えばGoldthorpeは真逆のことを言っている。計量分析は、因果関係を明らかにするために、合理的選択論を導入しろというのが、彼のもっぱらの主張である。スカンジナビア社会学における合理的選択論の複雑な受容の結果として、Hedströmの分析社会学を位置づけることは出来そうだ。恐らく、Hedströmに合理的選択のエッセンスを伝えたのは、Sørensenの影響が大きいものと考えられる一方で、Goldthorpeの合理的選択論とサーベイの結託という発想を導いたのは、Jan JonssonやEriksonだったのだろうか。

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